代理闘争に明け暮れ!3

こちら、至極フツーの 航空ファン・サラリーマンの駄文日記帳で御座います。m(_ _)m

エロ漫画規制

というわけで、一応各所から「どうよ?」って話があったので日記のネタとして自分の意見とか雑感をメモ。例に寄って長文。
事はこういう話で。
http://www.asahi.com/national/update/0113/012.html
まぁ、ココ最近、限りなく無修正な穴の中まで描いてあるようなモノも平気で出回っていたから、そろそろどこかが吊るし上げを食らうだろうとは思ってたんで、まぁやっぱりなぁという感想。
論点としてはいろいろあると思うが、やっぱり「卑猥物そのものを規制して無くす」んじゃなくて、「卑猥物が視界に入る事を各人が選別できる環境を整備する」事の方が重要だと思う。
以前アキバのエロ同人屋の看板の件でも触れたが、無規制で色々な種類の人種が行き交う往来に「エロ同人誌のエロい絵の看板を並べる」のはどうかと思うわけだ。そういうのを気持ち悪いと思う人に強制的にそういうモノを見せる事になる路上看板はある程度閾値を設定して(乳尻の露出はダメとか)規制してしかるべきだろう。この手の問題は、見たくない奴が目にするから発生するんだから。
見る見ないを本人が切り分けられる環境を構築するってのは、わりと簡単にできると思うんだけどナァ、思想が絡む余地も無いし。お子様連中が卑猥物に接触できにくくなるくらいで、誰も困らんだろうに。
さて、見る見ないの選択権を与えるべきって話は後にも回すとして、そもそも私には実写のビデオにしても絵にしても、自然天然にあるものを隠すっていう必要性をどうしても見出せない。
個人を特定できないように「顔にモザイクをかける」ってのは理解できる。「人間が事故でぐちゃぐちゃになった映像について、心臓の弱い人が見るかもしれない大衆向けのニュース映像でモザイクをかける」ってのも解る。しかるに、見たい人しか見ないエロビデオやエロ漫画にモザイクをかけるというのはどうしても解らない。
「恥の文化」とも違う話だろうが、そもそもが見たい人しか見ないエロビデオやエロ漫画を、「見ない事が可能」な「見たくない人」の為に規制するという体系自体が矛盾しているのではなかろうか。
というか、そもそもアレだ。時代はもう昭和じゃ無いんだから、片方でアメリカに倣(なら)え、続け、欧米並みの価格設定を実現せよとか叫びつつ、何時までも古い時代遅れの思想を伝統とか文化とか「それらしい表現でアヤフヤにする」という悪い習慣は改善すべきなのではないのか?
以前どこかで見た話のような気がするが『日本のエロい物にモザイクをかける文化には、物事を曖昧にして誤魔化すという嫌な文化がそのまま具現化している』ように思える。曖昧に誤魔化すのではなく、明確に問題を認識し、改善点を見出す事が必要な時代に、何故曖昧な誤魔化しを頑なに維持しようとするのか?
と、話があらぬ方向になってきたので修正するが、「そもそも隠す必要自体が無い」と私は思うわけですよ。
そして、ここで今回のエロ漫画問題が「絵ではなくストーリーというか内容に問題がある」という事になれば、これは立派な「憲法が保障する思想の自由」を侵す事に他ならないだろう。どんなに変な思想であっても、思想を持つ事自体は自由だ。その思想を元に違法行為を行うのならば、これは問題となり刑罰を加える必要がある。これは信教の自由についても近似する話で、例えばオウム真理教にしても、社会に影響を与える事件を起こさずに純粋に宗教活動だけをしていたのなら処罰される事は無かっただろう。そして例の刀剣愛好団体の暴走行為にしても社会に直接的な害悪を与えた時点で処罰されてしかるべきだという話なるわけだ。彼らも刀を見てニヤニヤしているだけなら捕まらなかったはずだ。
しかるに、エロ漫画を描いて、一部のマニア以外には気色悪いと感じられるストーリーを構成して漫画本を作る事は、気色悪いと思う人がそれを目にしない限り問題を生じない。もし、それを模倣した犯罪が発生したとしても、漫画自体に違法性があるかと言えば、無いはずだ。犯罪自体は犯罪を実行した個人の罪なのだから。
もし、漫画を読んだ人間が全員それを模倣した犯罪を犯したのであれば、それは因果関係が確立して犯罪を助長する思想を記した書物という事で問題の対象になるかもしれない。が、そうで無ければ問題にする必要は無いはずだ。
よく「こんな本があるから犯罪が増える」という話を聴くが、それは問題の本が無くても似たような犯罪が遅かれ早かれ起きたかも知れないし、逆にあったとしても、その犯罪実行者自体が居なければ起きなかったかもしれない。たまたまそういった犯罪を犯す人間に、他に似たようなモノが沢山あるにも関わらず、たまたまその漫画が犯罪の台本として採用されてしまったのかもしれない。もしかしたらその犯罪者は他の漫画のストーリーを使ったかもしれないし、事に寄れば著名な作家の書いた推理小説をなぞっていたかもしれない。ならば推理小説怪奇小説も規制すべきかというと、そういう話題は得てして発生しない。
この問題を拡大解釈していけば「犯罪を犯す危険性のある人間が居なければ犯罪は発生しない」という理論が成立し、更に究極的には「人間がいなければ犯罪は起きない」という大原則に行き着いてしまう。
問題を際限無く追求するならば、この大原則を実現しようとする為に人類は滅亡すべきであり、そのために大量虐殺をする事は問題の解決手段であるという話が成立してしまい、マスターアジアがデビルガンダムで地上から人類を抹殺しようとしたという行動も正しいという結論に至ってしまう訳だが、まぁ、ここまで来てしまうと流石に屁理屈というモノだろう。