小泉首相が愛について語ったらしいのだが。
http://www.asahi.com/politics/update/0407/012.html?t5
私にしては珍しく「だよねぇ?」と同意する見解だった。
なんかね、いつの間にか「愛しているよ」って言葉がウソ臭くて嫌いになってる自分を再発見なのでありまして。
でも、若い頃はわりと「愛は崇高で大事なものだ」という認識があったハズなので、どこかに転換点があるはずだと、こう思うわけです。
ちょっと考えてみて思い当たったのは『ドラマのセリフで出てくると、凄くウソ臭く見えるケースが多い』という事だろうか。
私は個人的に特に日本のドラマが好きじゃない。どうしてもお涙ちょうだいな展開や、カッコイイと思われる演出がわざとらしく見えてしまい、ウソっぽく見えてイライラするからというのが理由なのだが、多分ウソ臭く見えてしまうドラマで「愛している」という発言が出ると、その発言までも「ウソ臭い」という結果になり、結果的に「愛」ってのは「ウソ臭い」シーンでしか使われないというイメージが醸成されてしまったのではないかと考察するところ。
後は、人生も30年を超えると、何かにつけて「愛」という言葉が様々な不合理や納得できない事象を正当化するために使われているという現実を垣間見る事が多いってのもあるかもしれない。「愛」さえあれば、「愛」の為なら、何をしても許されるというのは間違った認識だと理解した結果なのかもしれない。
でもまぁ、最大の理由としては、自分は基本的にヒネクレ者なので、社会的に「素晴らしいもの」「美しいもの」「正しいもの」「優先されるもの」「尊いもの」というイメージにケチを付けたいだけなのかもしれないなぁと思わなくも無し。
「愛」が「偽善」と「虚偽」にしか使われないというネジ曲がった概念になってしまった自分が結構気に入っているから始末が悪いなぁと思わなくも無いが、まぁ仕方ないなぁ・・・
その点「好き」という言葉は無理が無く素直で良い表現だと思うのですね。
さて、では世界の愛の為に早朝出勤するとしようかァ!
わははのは! うぐぅ(;´д⊂)
・・・って、やはり私がキリスト教徒になるのは不可能という事か。
でも、ローマ法王のご冥福はお祈りしております。こんな事なら昨年末ヴァチカンに行った時に深夜までサンピエトロ大聖堂でお待ちしておくべきだったかもしれませんです。