代理闘争に明け暮れ!3

こちら、至極フツーの 航空ファン・サラリーマンの駄文日記帳で御座います。m(_ _)m

震災報道随筆

今日は久々にコラムを書いてみたい。
新潟県在住の方には少々気分を害される記載があるかもしれないが、一個人の率直な意見としてご理解いただきたい。また、全てのメディアがそうだという話ではないが、少なくとも同様の事象が複数のメディアに見られた事は間違いない事を予め記しておく。
さて。
新潟県原発風評被害を被っていると、メディア各誌で広く伝えられている。
確かに原発風評被害もあるにはあるだろう。特に初期の「チェルノブイリ並の被害」という完全に間違った報道を聞いた某サッカーチームを含む多くの海外の人や、誇大報道を鵜呑みにしてしまった人々には風評被害が出ていると思える。
ちなみに海外報道については、国内メディアの煽り報道を直訳した、あまりの英訳のお粗末さに加えて、勝手に想像した尾ひれを付けに付けまくるという海外メディアの体質についても愕然である。
海外ではJCO臨界事故時も「爆発事故」「爆発により屋根に穴が開いた」という嘘情報が大々的に真実として報道された事を思い出したが、メディアって商売の人間は世界的にああなのだろうか?
もはや某巨大掲示板の匿名書き込みと大差がない。
最近あった中国の「ダンボール肉まん」ネタも含め、国際ニュースの情報精度には疑念を抱かせるモノが多い気がする。
もっとも中国の農産物や加工食品について農薬や危険物質の含有量が基準を超えていたというのは数値的に根拠のある話なので、実際に問題なのだろうとは思うが。
話がそれたので、新潟の件に戻そう。
原発風評被害という話に付随して、被災地から100kmも離れた新潟市への客足が減ったという点が指摘されている。
しかし、これについては原発云々以上に「比較的短期間に大地震が再発したという事実」による客足の鈍化の方が大きな理由ではないだろうか。被害の中心から100km離れていたとしても同じ県、同じ甲信越なのである。
阪神大震災があった時には、やはり誰もが「阪神地域」自体にはなるべく行きたくないと考えたのではないだろうか。京都も四国も「なるべくなら行きたくない」と考えはしなかったか。
原発に対する漠然とした不安」を問題視する某県代表の言葉を借りるならば、「新潟県に対する漠然とした地震発生の不安」が広まっているのではないだろうか。この漠然とした不安を払拭するのは、原発への漠然とした不安を払拭するくらい難しい事なのかもしれない。その困難さは叩く側から叩かれる側に立場が変わってみると、重く圧し掛かって実感されるに違いない。
そして被災地近傍や、余震のリスクの高い地域については、個人的には「本当に”風評”の所為なのか?」と疑問に思う。
”風評”による問題ではなく、”現実問題”として交通やインフラの不安や、余震の不安が解消していないという点が非常に大きいのではないか。
更に被災地近隣については、そもそも「人として、震災復興で苦労している、仮設住宅も不足しているような状況の被災地近くで、のんきに海水浴レジャーをするというのは忍びない」と考えるのが普通じゃないだろうか。
地元観光業者に「風評被害で客が居なくて困っているから来てくれ」と言われて行ったとしても、行った先で”観光関係者以外”の市民に「こっちは大変なのに、助けもしないで遊んでやがる」と見られるのは、常人なら誰もが嫌だと思うはずである。
風評被害”の記事ばかりが目立つが、恐らく風評以前にあるであろう、そのあたりの人情的な問題が、全くと言っていいほど無視されているのではないか。まるで風評被害が出ること自体を強調することで”漠然とした不安”の増大、つまりは視聴者の興味を狙っているとしか思えないのだが、どうだろうか。
なんというか、個人的には「まだ言うか?」という印象だ。
そして相変わらず新たな発表があるたびに原発、東電は叩かれ続けている。
事務所も滅茶苦茶な状況下、調査結果の報告に日々努力していても、とにかく否定的に報道されている。
「大丈夫だった」という”安心”の報道には必ず「しかしここはダメだ」「対応に対し非難が上がっている」という”否定”の言葉が常にセットで付いており、”安心”を打ち消している。
そして大筋において、報道される内容は相変わらず不安要素の部分が大きく出され、実は本質的には問題が無かったという点が事実上隠蔽されている。
放射能を含む水(もしくは原発プールの水)をかぶった作業員がいた」と報道するのは確かに間違っていないが、この文面を見て「極微量な放射能を含む可能性のある水をかぶった作業員が居たが、退出時の放射線測定で放射能は検出されなかったのでそのまま退出し、実質被害は無かった。」という現実を把握することは、恐らく不可能だ。
明らかに情報が操作され、”不安”が報道され、”安心”が隠蔽されていると言わざるを得ない。
私に言わせれば今や情報を隠蔽しているのはマスコミの方だ。
極一部を除き、報道に中立性が感じられない。
いまだに本当の事や現実のモノの状態を知らずに、思い込みで自分たちの演出したい内容だけを大きな文字で書き、注意を引いているようにしか見えない。
「体質が変わっていない」のはどちらなのか?
また市民の投書を掲載するのも結構だが、「一般の家庭でも雨がしみ込まないようにビニールシートをかぶせるくらいはするのに、原発で浸水があるなんて、原発ではそんな対策もしていないのか?」という意見をそのまま載せるのはどうだろうか。投書した一般の方は恐らく地下水がコンクリートの亀裂から浸水する状況がどんなモノかをご存じないだろう。見たことも無いだろうし、報道もされないから知る由がない。
だが、現実にコンクリートから水が沁み出てくるという現象は、家の瓦の隙間から雨滴が落ちてくるのとは訳が違う。少なくともビニールシートをかぶせるくらいではどうにもならない。もちろん程度にもよるが、そんなに簡単に止められるものではないのである。
それでも、実情との差異についての何の補足もなく、そのまま掲載される。
それだけを見たら、現実を知らない人々は、「簡単に対策できるのにしていないなんて、どういうことだ?」という感想しか思い浮かばないだろう。現場の現実の状況は露ほども想像できないに違いない。
そんな記事が相変わらず蔓延している。
風評被害について、「現地の観光業者は困っています」「海水浴客は殆ど居ません」と悲しげな演出で報道している、その”メディアこそが風評被害を拡大している当事者の最大手であり、加害者であること”を隠蔽した表現のままに、今日も報道が行われ続けているのである。そんなに悲しげに状況を報道するなら、実際、現地は安全で被害の影響も少なく、実質問題がないことをもっとどんどん報道すればいいのである。だがそうはしない。
これは実に気味が悪い事ではないだろうか。
これで公平、平等、真実の報道を唱えるとは片腹が痛いというものだ。
「そんな、全てを見聞きして報道するなんて、できっこないに決まっている」という意見もあるだろう。それは一理ある。だがしかし、一理あるだけに「見聞きしたことを多面的に見て、印象の良い事も悪いことも均等に報告する」、つまり「中立な報告」が求められるのである。
そもそも、状況の本質がよくわかっていない状況で、自分に都合良く解釈したテキトーな情報を広めるという行為事態がおかしいのだ。
思想を主張する宗教団体、政治思想団体ではなく、事実を報道する事が目的であるならば、多くの人が事実として受け止めることを前提に伝えるからには、少しは多面的に考えてモノを言うべきではなかろうか。それが事実の報道という前提で多くの視聴者を得ている発言者としての礼儀であり、義務というものだろう。
【蛇足】
ところで、私はやはり、震災復興で大変な被災地の海水浴場で夏のバカンスを楽しむ気にはならないというのが本音だ。やはり気が咎めるというものだよ。
ついでに言えば元々特に用事も無いので、いきなり新潟観光をしろと言われても正直どうしたものかと途方に暮れるのだ。
・・・ガタケにでも顔を出しに行けってか?まだゴッドシグマを合唱せよという事か?まぁ、それはそれで悪くないかもしれないが(謎)