代理闘争に明け暮れ!3

こちら、至極フツーの 航空ファン・サラリーマンの駄文日記帳で御座います。m(_ _)m

論理的に必要があるか?ボーリングは殺人の原因として考慮する必要は無いか?

と言えば、無いかもしれないし、あるかもしれない。
沖縄で米軍機が空中衝突事故を起こしたが、幸い人は死んでない。訓練中の事故だし、訓練と言うのはある意味事故の危険があるからわざわざ訓練空域で行われるわけだ。何も市街地の上空で空中給油訓練をしていたわけではないし、通常の運用で事故を起こしたのとは訳が違う。
要するに「火を使う(=飛行訓練というリスクを発生させる)」から「ガソリンをぶちまけた部屋から離れた所でライターに着火した(=市街地を離れた訓練空域で飛行訓練を行った)」という事だ。
身近な例で言えば喫煙所で、水を満たした灰皿の脇でタバコを吸ったようなものだ。路上喫煙や車の窓から火の付いたタバコを投げ捨てるバカどもよりよっぽど安全な話だ。
毎日自動車事故が発生しているのに自分が自動車の運転を控えるという事をしているか?トラック輸送される宅配便の利用を自粛しているか?
原発で配管が破裂したからと言って、全国の全ての産業の配管を再検査したか?化学工業や石油産業、毒物を扱うような、ある意味もっと危険な施設の点検をしたか?
そもそも君らは自宅のガス配管の肉厚を検査した事があるか?
水道配管、トイレ直結の下水配管だって破裂したらある意味一大事に発展する危険があるのに、そこは無視して良いのか?
マスメディアもそう言った身近な危険性に言及しないのは何故か?危険なものはそこらじゅうに氾濫しているのに?
結果、それは話の種として面白くないからだろうし、何よりも一般の人々に本当に身近な危険性、すなわち他人の恐怖ではなく視聴者本人の恐怖をを報道し過ぎ、煽り過ぎてしまうと、結果的にマスメディアの印象を低下させる(知らなければ良かった事を知らしめるような余計なお世話をするものだと深層意識下の恐怖からの逃避本能で認識してしまったら誰もテレビを見なくなるだろう)危険も伴うわけだから、必然的に安全に人々の興味を捕らえられる「他人の不幸」に報道が集中するのもわからんでもない。それを見た人々が自分の状況を棚に上げて他人の不幸を楽しむというスタイルが恒常化するのもうなずけるし、ある意味それは人間の本能、欲求を満たすものなのだから、人が子供を生み育てるのと同じくらい自然な姿なのかもしれない。
だからメディアは効果的な印象付けとして活用する場合(例えば元の確率が100億分の1のだったものが10億分の1になった時に、現実的にはなんら問題にするレベルじゃ無い事には変わりないのだが「なんと危険は10倍に膨れ上がった」と報じられる。しかし天気予報で気温0.1℃が1℃になったからと言って「なんと今日の気温は昨日の10倍になりますっ!」と報道される事は無い。この現象はニュースをさも凄い事に見せかけるために数字の効果を利用していると言える。)以外に数値化された「リスク」を報じはしない。見た目の面白いリスクであればその本当の意味での危険性はどうでも良くて、楽しい番組作りに日々粉骨砕身しているのだ。これはビジネスとして間違っていない。感情論的に、倫理的にどうかはわからないが。
とまぁ、それにつけてもだ。日本人もアメリカ人並に一部モノを考えられない人が増えてるような気がする。というか、冷静論理的な判断よりも感情先行型が頓に目立つような気もする。そしてマスメディアの偏り方がUSAに近くなりつつあるような気もする。
ボーリングフォーコロンバインはなかなか面白かった。日本は銃規制が無かったら割かしUSAなのではないかと思わなくも無かった。
話を飛行停止に戻すが、沖縄の米軍の事故やトラブルは、まぁ米軍がはなから居なければ発生しないという議論もあるだろうが、リスク的には正直たいしたレベルではないと思っている。飛行停止したところでそれは一時的なものに過ぎず、トータルの意味は薄い。感情論的には「謝罪というスタイルとしての訓練自粛」というスタンスはありかもしれないが、実効性としては単なるパフォーマンスに過ぎないのではないかと憶測するわけだ。
とはいえ、無差別銃撃事件の翌日に現地で銃愛好団体の集会をするのはどうかと思わなくも無い。感情に対する配慮という視点は確かに無視できない部分もあるわけで、多少のパフォーマンスは必要なのだろう。たとえそれが非論理的であったとしてもだ。まぁそうでなくてはいろいろなビジネスが成り立たなくなってしまうという話もあるし。
でも原発の再起動を政治的な理由でけん制している某県は実質的な影響が出ていないから政治的取引の材料に出来ているわけだが、あれが元で本当に東京大停電や何やらが発生して経済的影響が下々にまで及んだとしたら、非難轟々で日本中の非難を一身に浴びた上に、結果して県民全員が悪人扱いされる事に成るのだろう。そこを上手くやるのが政治手腕なのかもしれないが、個人的にはそういう政治をする人は好きじゃない。
もう少し相手の立場に立って考える習慣をつけてはどうかと、そのうえで客観的論理的な回答を導き出せるようにならないかと、ひいてはマスコミに踊らされるだけの片手落ちな議論で物事を判断しないような、グローバルな見方ができる人材を育成していかなければイカンのではなかろうかと。不景気は先を見越したモノの考え方を出来なくするわけだが、それでは本当に後でどうしようもない袋小路にハマって大後悔するもどうしようもなく人が死ぬような時代が来るのではないかと懸念する所なのであった。
まぁ、何度も書いているけど、自分が生きてる間だけ楽しく過ごせればいいやと割り切ってしまえば、別にどうでもいい話ではあるのだが。まぁ50年後にエネルギーも経済もボロボロに破綻して子孫の世代が煉獄と化した所で私は一向に構わんのですがね。ええ。