代理闘争に明け暮れ!3

こちら、至極フツーの 航空ファン・サラリーマンの駄文日記帳で御座います。m(_ _)m

追記の後半

と、まぁいろいろあるわけですが、結局エロ漫画見ない一般層にとってはどうでもいい話なんだろうけどね。
こういうネタに食いついている時点でエロ漫画が好きか嫌いかどちらかの人種だという事になるのだろう。
まあ、当事者意識が無いものに興味が湧かないのは自分も同じなのでなんとも言えませんが。
でも、やっぱりなんだかんだと判決を出す前に、判決の核となる閾(しきい)値を明確にせよと、これだけは言いたいね。
現状はざっくり言えば『なんとなく裁判官が見てエロくてキショいから有罪〜』という状況にあるんじゃないのかと。そんな曖昧な話で物事の善悪を切り分けて良い筈が無いと思うのですよ。「単純に規制で排除」するのではなく、「どこまでが良くてどこからが問題なのか」をしっかりと吟味して決定する作業をするべきだと思うのですが。
とは言え、何でもがんじがらめに閾値を決められるかというと現実には困難なものも多いです。出来ないものは仕方ないし、むしろそういう割り切った規制をしない方が良い物もあるとは思うんですが。
この点について漫画の内容についてはどうか?というと、私が思うに「絵を見てどう受け取るか」という点については絶対に個人差があって、個人差があるものに簡単に誰もが納得する閾値を作る事は困難だと思うのですね。
まぁ大衆と呼ばれる全体群について然るべきサンプリング調査を行って、確率論的に閾値を付ける事はできそうな気がしますが、こと、感性に関する問題については『各自に選択権を与える』のが妥当なのではないかと思うのです。
現状の曖昧な規制を撤廃して、先ほども書いたように「見る・見ない」を選択できるシステムにした方が良いでしょう。
正確には「故意に見ようと思わなければ見られない」システムにすれば良い。そうなれば「見た本人が自分の意志で見て気持ち悪くなったのだから、見た本人に責任がある」という事になり、自己責任で全て片がつくのではないでしょうか。
こうなればエロ漫画を見て「キショいから違法」と思う裁判官は見なくて済むし、「キショかったから通報しました」という人は「あんたが自分で見ようとして見たんだろ?見なければ良かったじゃないか?」という事で何処にも支障が生じないはずですよ。
そして、もし模倣犯罪が起きたとしても、それは犯罪者自身の問題なのだから、裁判では犯罪者本人の罪状が裁かれればいいんです。
と言うわけで、こちらの方向で話が進んだらどうかと思うんですが、国会議員は基本的に老人の見方だからなぁ・・・思想の古い老人が逝かないと世界は変らないのかもしれない。若い者に都合の良い政治が成り立ったためしは無いはずですからね、ええ。
と言った感じで、あいかわらず分けが解らなくなってきたのでこのへんで。
まぁ話題にも出た事だし、久しぶりに何かエロ漫画でも買いにいこうかな・・・
ハッ!実は今回の一件って、これ(ネット上のエロの氾濫で認識が薄れていたエロ漫画というモノの存在を再認識させる事)が目的のデキレースなのか!?
だとしたら良いように踊らされたのか、俺はっ!<多分違いますがある意味踊らされてます(ォ